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zoom RSS ブログ11周年と文章を書くということ

<<   作成日時 : 2016/10/10 23:11   >>

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恒例となった記事を書いてなかった.思い立ったが吉日ということで,いま書いてみたい.

以下のメールが届いたのは,今年の6月である.はやくも4か月もたってしまった.

日付: 2016/06/18 8:03
件名: 祝ブログ開設11周年!

○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
  ブログを開設してから、もうすぐ11周年!!
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○

ウェブリブログに登録してから、あと2日で11周年になります。
ウェブリブログ事務局のまーさです。
ご利用いただき、ありがとうございます!

A Day in the Life
http://dayinthelife.at.webry.info/


この11年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・

446240 件 になります。


毎年恒例のこのメールが届くと,なぜ私はブログを書くのか? といった,他人にとっては果てしなくどうでもいいことを,ついつい考えてしまう.それにしてももう11周年か….

はっきり言えば,ブログを書くといった行為は,無駄である.社会人になれば分かるように,最も貴重なリソースは,お金ではなく時間だ.ブログを書くような時間があれば,仕事をするなり勉強をするなり家族のために時間を費やすなりすればいいではないか.それなのになぜブログを書くのをやめられないのか.

こう考えてくると,去年のこの恒例記事でも少し触れたように,私は愛読する高村光太郎のことを思い出す.具体的には,「自分と詩との関係」という短いエッセイの,以下のような文章である.青空文庫から引用する.

 私は何を措(お)いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。
 ところでその彫刻家が詩を書く。それにどういう意味があるか。以前よく、先輩は私に詩を書くのは止せといった。そういう余技にとられる時間と精力とがあるなら、それだけ彫刻にいそしんで、早く彫刻の第一流になれという風に忠告してくれた。それにも拘(かかわ)らず、私は詩を書く事を止めずに居る。
 なぜかといえば、私は自分の彫刻を護るために詩を書いているのだからである。自分の彫刻を純粋であらしめるため、彫刻に他の分子の夾雑(きょうざつ)して来るのを防ぐため、彫刻を文学から独立せしめるために、詩を書くのである。


これは名随筆だと思うので,ぜひ続きを読んでいただきたい.

高村光太郎は,このストイックなまでの姿勢をもって,彫刻に対峙した.それには及ばないにしても,ブログを書くという行為も,似たようなところはあるのかもしれない.人生における抗いがたい「表現上の欲望」を,ブログを書くことによって満たす.それでこそ,一意専心に仕事に注力することができる.



しかしながら私の場合,ブログを書くという行為は,それだけでは完全に説明することはできない.

ここで最近,以下のような記事があった:

電通社員の自殺報道から考えた、部下を「うつ」にしてしまった僕の重い過去 - 僕が自由を証明しようと思う
http://www.satouwataru.com/entry/dentsu-news


この記事で,Kさんは,仕事上の問題で鬱になる.その結果Kさんは治療のため自宅療養となるのだが,以下のような状況になるのである:

治療の一貫として、気になることはすべてノートに書き出す。→2日間でA4の大学ノート3冊分にびっしりとネガティブなことが書き綴られていたそうです…。


私はこの文章を読んで,本当に涙が出てしまった.

以前このブログでも簡単に触れたし,twitter では詳しいことを書いてしまったのだが(生々しいのでツイートは消した),私は大学院生時代に鬱のようになったことがあった.もうこの話には触れたくないし,今ではすっかり忘れたと思っていたのだが,上記記事を読んで,思い出してしまった.

その時期は,私も憑かれたように日記を書いていた.その内容は,かなりネガティブなものである.そして,毎日毎日,研究をやることもできず,とにかくそういった文章を書くことが,一日の仕事のような状況だった。

この日記はけっこうな分量になり,その後の何回かの引っ越しでも捨てられずにいる.しかし,一度も読み返したことがないし,最も親しい者にも見せたことがない.たぶん死ぬまで読み返すことはないだろう.

そのつらい時期に,なぜそんなにまでして日記を書いたのか.本当にもう思い出したくないのだが,書いてるときだけは,救われているような気がしていた.押しつぶされるような日々の中で,日記を書くというだけが,かすかな希望だったのかもしれない.今から思えば,書くという行為が,世界の真っ暗な底にいるような生活の中で,遠くにかすかに見える光のようだった気がする。

結局,文章を書くという行為は,一つの救済であるように思われる.その理由はいろいろと説明できるかもしれないが,私はそれにはあまり興味がない.いずれにせよ,私が,いくら更新が稀のようになってもまだブログを書くという行為をやめられないのは,本質的にはそういった理由があるのかもしれない.



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