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zoom RSS へんろう宿 (井伏鱒二)

<<   作成日時 : 2016/05/07 17:41   >>

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以前,といってももう2か月も前になるが,私の note で,井伏鱒二について触れた.今回のエントリでは,その作品について,もう少し書いてみたい.

井伏鱒二の作品としては,「黒い雨」や,教科書にもよく載る「山椒魚」の二つが最も有名だろう.しかしながら,私がまず思いつくのは,「駅前旅館」や「へんろう宿」という,二つの小説である.この記事では,後者について書いてみたい.

「へんろう宿」は,非常に短い作品である.ドラマチックな展開もない.しかし,この掌編は,しみじみ私の記憶に残っている.

この作品のストーリーは,以下のようなものだ.著者である「私」は,所用で土佐を訪れ,遍路岬で宿をとる.その土地では,遍路のことを,「へんろう」と云うのであった.そして,「私」が泊まった「へんろう宿」には,奇妙な風習があったのである.

このへんろう宿は,宿屋としては貧弱であるが,5人も女中がいた.3人のお婆さんと,2人の女の子である.そして,その日の夜遅く,「私」の泊まっている隣の部屋で,一人の宿泊客と,この宿の一人のお婆さんが,酒を飲みながら話をしているのである.「私」はそのとき眠っていたのだが,二人の話し声で,目を覚ましてしまった.そのお婆さんは,へんろう宿の女中のこれまでの人生について語っているのであった.

「(中略)一ばん年上のお婆さんがオカネ婆さん,二番目のがオギン婆さん,わたしはオクラ婆さんと言います.三人とも,嬰児(あかご)のときこの宿に放(ほ)っちょかれて行かれましたきに,この宿に泊まった客が棄(す)てて行ったがです.いうたら棄て児(ご)ですらあ」


ひょうひょうとした御婆さんの口ぶりであるが,内容は衝撃的である.なんと,この宿の5人の女中は,全員,もともとは捨て子だったのである.幼い赤子をかかえた親が,遍路岬を道中する途中,その赤子を持て余し,へんろう宿に捨て子をする.へんろう宿には,そんな奇妙な風習があったのだ.


お婆さんの話を聞いた宿泊客は,捨て子をする親の料簡を不審がる.そして,お婆さんと客の会話は続いていく.

「戸籍面はなんとするのやね.女の子でも戸籍だけは届けるやろう.嫁にも行かんならんやろう」
「いんや,この家で育ててもろうた恩がえしに,初めから後家のつもりで嫁に行きません.また,浮気のようなことは,どうしてもしません」
「はてなあ,よくそれで我慢が続いてきたものや」



この作品が発表されたのは,昭和15年で,太平洋戦争が始まる直前であった.昭和の時代であるが,日本はまだ貧しく,このような話は日本全国であったのかもしれない.いずれにせよ,この作品は,短いながら,読者に強烈な印象を与えずにはおかない.そして,短い作品であるがゆえに,かえって読者の想像力を刺激するのである.

まず,読後感である.そもそもこの話は,実話に基づいたものなのか?それとも,完全な創作なのであろうか.強烈な印象を与えるストーリーと,登場人物の造形により,そのことに思いをいたさずにはいられない.こんな短い作品なのに,一読後,読者は,現実と非現実の境目があいまいになったような,一種の浮遊感を感じることだろう.こうした感覚は,山本周五郎の「青べか物語」 を読んだときの読後感に通じるものがある.

そしてしばらくして,捨て子をする「親の料簡」について考えてしまう.喜んで子を捨てる親はいない.そこにどんな事情があったのか.

この作品中にあるように,親は道中にその赤子を捨てたという.この「道中」は,作品の題名が示唆するように,お遍路の旅ではなかったか.するとそれは,贖罪の旅であったのかもしれない.そして,その罪は,赤子に関するものだったかもしれない….などと考えていくのは,邪推なのだろうか.しかし,この作品は,読者の想像を喚起せずにはおかないのである.

また,「へんろう宿」の存在についても考えざるを得ない.そもそも,このような宿は存在したのか.存在したとすれば,日本全国に同様の存在があったのだろうか.

へんろう宿は,いわば,自然発生的にうまれた,駆け込み寺のような存在だろう.それは,庶民全体としての生き残るための知恵から生まれたのか.あるいは,人間が本質的に持つ,相互扶助の思いが作り上げたものだろうか.


そして,最も強く考えてしまうのが,捨てられた子の人生である.育てられた「恩返し」として,嫁にも行かずにへんろう宿で一生を終える人生に,果たして幸せはあったのだろうか.

しかしながら,我々は,他人の人生が幸せであったか,そうでなかったか,軽々に考えることはできない.そもそも,自分の人生についてすら,それを判断することは難しいのである.少なくともいえることは,人は,その時代で,その置かれた環境で,生きてきたし,生きていかざるを得なかったということだ.

ただしそれは,どこかの知識人がよく言うような,それぞれの時代でたくましく生きてきた庶民といった軽薄なイメージや,ノスタルジックに美化された過去などとは,まったく違うものである.人が生きていくということは,そんなに美しいものではない.「駅前旅館」などでも,胸糞悪くなるようなエピソードもある.ただ人は,それぞれの人生で,それぞれの生き方で,生きてきたということだ.


しかしそのように了解したとしてもなお,我々は,へんろう宿の捨て子たちの人生について,考えるのを止めることはできない.結局,その子達の,おばあさんになってそこで一生を終えるような人生に,幸せはあったのだろうか?

その答を考えるにあたっては,読者は,自らの人生に思いを致さずにはいられない.お婆さんたちの人生の幸福について考えることは,我々一人一人の人生がどうであったかを考えることに他ならないのだ.我々は,今まで幸せだっただろうか.これからはどうだろう.どんなときに喜びを感じたか,どんなとき幸せであったか,そしてどんなときに悲しみを感じただろうか….我々は,自分の人生がどうだったか,考えざるを得なくなってしまうのである.

すなわち,「へんろう宿」は,読者の人生を盛り込む器であり,それを映し出す鏡でもある.この作品を読むと,優れた文学作品が,どれほど大きな力をもっていることか,畏怖と戦慄のようなものを感じずにはいられないのである.







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