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zoom RSS 草ひばり(小泉八雲)

<<   作成日時 : 2015/04/22 16:53   >>

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小泉八雲(以下,本名のラフカディオ・ハーンとする)は,多くの日本人が知るところの人物だろう.ギリシャに生まれ,さまざまな国を経た後,明治のころ日本に帰化し,日本の民話や特に怪談を蒐集して外国に紹介した.日本の長い歴史に基づく伝統や文化をこよなく愛したといわれ,それもあって,日本人による人気が高い人物ではないだろうか.私も,ハーンに対しては,ゆかしいような気持ちを持っている.しかしながらそれは,ハーンに対する一般的な理解と異なっているような気もするので,今回はそれを題材にして,エントリを書いてみたい.

ハーンは多数の著作を残したが,日本語に訳されているのはごく一部だろう.最も入手しやすいのは文庫本で,その中でも,ハーンの全作品を概観しやすい一冊が,新潮文庫の「小泉八雲集」(上田和夫訳)であると思われる.そして,その「小泉八雲集」に所収されている作品に,「草ひばり」というごく短いエッセーがある.私は,ハーンについて考えるとき,まずこの作品を思い出すのである.

「草ひばり」とは雅な名前であるが,ハーンの言葉を借りれば,「普通の蚊の大きさくらいのこおろぎ」のことである.ハーンはこの草ひばりを,自分の部屋の小さな籠(「高さ二インチ,幅は一インチ半」)に飼い,その鳴き声をこよなく愛していた.その記述を,多少長くなるが,そのままここに引用したい.

ところが,いつも日が暮れると,この微小の魂は目を覚ます.すると,部屋じゅう,名状しがたい妙(たえ)なる美しい音楽 ―― この上ない小さな電鈴のような,かすかに,かすかになりひびく音でいっぱいになる.暗闇が深くなるにつれて,その音はますます美しく ―― ときには,家中がその妙なる調べにうち震えるかと思うばかりに高まり ―― ときには,この上なくかすかな音へ消えうすれていく.だが,高かろうと,低かろうと,その不思議な,鋭い音色には変わりはない.夜じゅう,こうしてこの微小なるものは歌いつづける.寺の鐘が明けの刻(とき)を告げるとき,それはようやく,やむのである.

さて,このちっぽけな歌は恋の歌である ―― 目に見えぬ,未知のものをそこはかとなく恋い慕う歌なのである.この世の生涯で,こいつが見るとか知るとかいうことは,およそありえない.遠いはるかな先祖たちも,野辺の夜の生活や,恋における歌の価値を知っていたものはない.こいつらは,そこいらの虫屋の店先にある,素焼きのかめのなかでかえった卵から生まれてきたものだ.それから後は,籠のなかに住むだけなのである.しかし,こいつは,いく百万年かの昔から歌い継いできたとおりに,しかも,その歌の調べのひとふしひとふしの正確な意味を理解しているかのように,間違いもなく,同胞(はらから)の歌をうたっている.


ハーンの観察眼は,きめ細かで,繊細である.読者には,草ひばりの美しい鳴き声,その哀しい生涯などがありありと思い浮かぶことだろう.そもそも,日本人以外でこういう感覚を持てるということが,ハーンの感受性の素晴らしさを物語っているように思われる.一般論として,人が,外国の生活や文化に根ざした感覚を体得することは,なかなか困難であろう.

そして,ハーンは,この小さきもの,草ひばりに対して,溢れるばかりの愛情や共感を抱いている.こうした特長は,ハーンの作品に共通するものであり,これがハーンの愛される所以でもあるだろう.また,ハーンは,幾百万年も前から延々と引き継がれてきた,こうした草ひばりの歌声を聴くとき,日本の伝統や文化について思いをはせることもあったのではないか.


だが,この草ひばりは,女中が世話を忘れたために,餓死してしまう.それは,飢えのあまりに自らの脚をかじってしまうほどであり,ハーンは痛ましさのあまり自分まで責めてしまうのである.だが,ハーンは,同時にこうも思うのだった.

だが,けっきょく,飢えのあまりおのれの脚を食うことは,歌の才を授かったものにとって,最悪の出来事ではあるまい.歌うために,自分の心まで食らわねばならない,人の形をしたこおろぎさえいるのである.



この「草ひばり」という短編は,ハーン自身やその作品を象徴しているように思われる.

ここで,ハーンが蒐集した怪談や民話というものについて考えてみたい.民話(そして,怪談も)というものは,非論理的で,ユーモラスで,時に悲しく,エロティックであるものだ.一言で言えば,猥雑ということだ.社会で人とともに生きていくというということは,この猥雑さを受け入れることに他ならない.ところが,ハーンの作品にはそうした猥雑さは見当たらない.ハーンの怪談や民話は,美しく,そして哀しい.あくまでも,猥雑さというものを拒絶しているように思える.なぜか.

それは,ハーンが,孤独で,漂泊する魂を持っていたからではないか.ハーンは,幼少期,少年時代を通じて,不遇な生活を送っていた.ハーンの母は精神を病み,両親は離婚した.その後,ハーンは,父にも見捨てられ,叔母のもとで生活するようになるが,叔母の破産が原因で,学費が払えずに学校も退学してしまう.多感な少年時代をこのように不遇に過ごしたことが,ハーンの生来の孤独な性向をいっそう強めていったことだろう.ハーンの人生は,孤独なる魂を抱きながら,常に何物かをあくがれる人生であった.そして,ハーンの作品は,ハーンの孤独で,さすらう魂によってろ過されたものであるからこそ,美しく,哀しいのである.

ハーンは,日本,その精神や伝統を愛した.また,妻小泉セツや子供たちを愛した.それは,それらがハーンの魂によりそうものであったからだろう.しかし私には,ハーンは,死ぬまで,その孤独でただよう魂を,確かな存在として自らの内に持ち続けていたに違いないと思えてならないのである.






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