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zoom RSS こころ (夏目漱石)

<<   作成日時 : 2006/12/03 21:34   >>

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今回,別の本の書評をしようと思ったのだが,つい手に取った夏目漱石の「こころ」を読んでしまい,どうしてもそれについて書きたくなった.

この小説は,(今はどうか知らないが) 教科書にも採録され,読書感想文のために読んだ方も多いだろう.漱石の作品の中でも,「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」と並んで,最もよく読まれているものではなかろうか.あまりに有名でありすぎて,いまさら私などがこの小説について書くのもはばかられるほどであるが,やはり一度はこのブログで触れてみたい.

「こころ」は,次の一文で始まる.

私はその人を常に先生と呼んでいた.


私はこの小説を読むたび,まずこの冒頭の一文で,胸が熱くなるような思いがする.この思いは,「先生」を始めとするこの小説の登場人物に対するものに他ならない.最初の部分を読むだけで胸が熱くなるような小説は,あまりないのではないだろうか(他には,宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」も,冒頭だけで胸が締め付けられるような思いがする).

特に,「先生」については,以下の描写をいつも思い出す.

先生は何時も静かであった.ある時は静過ぎて淋しい位であった.私は最初から先生には近づき難い不思議があるように思っていた.それでいて,どうしても近づかなければいられないという感じが,何処かに強く働らいた.こういう感じを先生に対して有(も)っていたものは,多くの人のうちで或は私だけかも知れない.然しその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから,私は若々しいと云われても,馬鹿げていると笑われても,それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしく又嬉しく思っている.人間を愛し得る人,愛せずにはいられない人,それでいて自分の懐(ふところ)に入ろうとするものを,手をひろげて抱き締める事のできない人,― これが先生であった.


人を愛することができる人.それにも係らず,人を愛することができない人.その矛盾が「先生」なのである.そして,その「先生」の本質を,直感的に理解できた「私」.この小説を読むたび,私は,「先生」や「私」に対する,いわば愛情のようなものを感じずにはいられない.

「こころ」のストーリーは,あまりに有名である.「先生」は,その大学生時代,親友のKを裏切る形で奥さんと結婚し,その結果Kは自殺した.「先生」は,両親の死後,親戚に信頼を裏切られたのだが,その自分が今度は親友を裏切ることになり,人間というものに絶望する.その罪悪感に長く苦しんでいた「先生」は,乃木将軍殉死の報を聞き,明治の精神に殉じるということに一つの意義を感じた.そして,「先生」は「私」に長い遺書を残して自殺するのである.

私は,最初にこの小説を読んだとき,いくつかの違和感のようなものを感じないではいられなかった.たとえば,「先生」の有名な言葉で,「自由と独立と己れとに充(み)ちた現代に生れた我々は,その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」というものがある.この言葉は,先生の死にどういう意味をもたらすのだろうか.また,「先生」は,乃木大将の殉死の際に,「明治の精神に殉死」することに思いがおよび,それを一つのきっかけとして自殺する.これはやはり唐突に思える.

今まで「こころ」について,いくつかの評論や解説などを読んできたが,どれも一理あるとは思うものの,やはり今ひとつ納得できていない.今は,上記の疑問にすべて答えることはできないものの,自分では以下のように考えている.

「先生」の自殺の一つの原因は,「先生」が遂に「真面目」な人間となれなかったことではないだろうか.そして,明治の時代に真面目であることの困難さ,矛盾,限界を感じていたように思われるのである.

これについては,以下のような場面がある.あるとき,「私」は,「先生」に対し,その隠している過去について語ってくれと懇願する.「先生」の思想が,その過去に裏付けられた,血の通ったものだからこそ重きがおけると「私」は考えたのである.

先生はあきれたと云った風に,私の顔を見た.巻烟草を持っていたその手が少し顫(ふる)えた.
「あなたは大胆だ」
「ただ真面目なんです.真面目に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を訐(あば)いてもですか」
訐くという言葉が,突然恐ろしい響を以て,私の耳を打った.(中略)
「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した.「私は過去の因果で,人を疑りつけている.だから実はあなたも疑っている.然しどうもあなただけは疑りたくない.あなたは疑るには余りに単純すぎる様だ.私は死ぬ前にたった一人で好いから,他(ひと)を信用して死にたいと思っている.あなたはそのたった一人になれますか.なってくれますか.あなたは腹の底から真面目ですか」
「もし私の命が真面目なものなら,私の今いった事も真面目です」
私の声は顫えた.


ここで語られる,「真面目」という言葉のなんと重いことか.それは,現代の我々が語る「真面目」ということの重みとは比べ物にならない.それは,命の重み,人間が真の人間であることの重みである.

そして,「先生」は,「私」が命と同じように真面目であることを認めた.人を信じて死にたいと言った「先生」が,「私」を信頼できる人間であると認めた.だからこそ,「先生」は,自らの命,自らが生きた証である遺書を「私」に託したのである.

ここに貴方という一人の男が存在していないならば,私の過去はついに私の過去で,間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう.私は何千万といる日本人のうちで,ただ貴方だけに,私の過去を物語りたいのです.あなたは真面目だから.あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云ったから.
(中略)
私は今自分で自分の心臓を破って,その血をあなたの顔に浴せかけようとしているのです.私の鼓動が停(とま)った時,あなたの胸に新らしい命が宿る事ができるなら満足です.


私が「こころ」を初めて読んだのは,中学生くらいのときであったように思う.そのときは,ただ恐ろしいと思った.そして,将来自分が社会で生きていくときの不安を感じた.

それから「こころ」を何度か読んだが,今は別の思いも感じている.それは,孤独,絶望,苦悩という,この小説の表面の底にある,希望のようなものである.それが,「私」の存在ではないだろうか.

「先生」は,人間を愛し得るが,愛することができない人であった.その「先生」を理解し,愛した「私」こそ,「人間を愛し得る人,愛せずにはいられない人」,そして,「自分の懐に入ろうとするものを,手をひろげて抱き締める事」のできる人ではなかったろうか.さらに,「先生」が望んだ真面目さ,近代では失われつつある,単純な純朴さをもつものが「私」である.だからこそ,「先生」は,明治の終わりに自殺する際に,新しい命,新たな時代の希望を「私」に託したのだと思われるのである.このような,「私」という希望の存在が,この小説の愛される一つの所以ではないだろうか.

「こころ」を読むたび,私は上のようなことを含め,いろいろなことを考えさせられる.そして,「先生」の,「あなたは本当に真面目なんですか」という問が,「私」ではなくて私に向けられてくるように思うのである.




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