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zoom RSS 或る「小倉日記」伝 (松本清張)

<<   作成日時 : 2005/10/05 23:45   >>

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昔,小倉 (福岡県北九州市) の近辺(?)に住んでいたことがあった.おととし,小倉に行く機会があり,時間があいたついでに,松本清張記念館を訪れてみた.この記念館は,小倉城のすぐそばにある,瀟洒な建物である.今回は,松本清張の「或る『小倉日記』伝」(新潮文庫)について書いてみたい.

松本清張は,1909年北九州市小倉北区(旧小倉市)に生まれた.41歳で懸賞小説の「西郷札」が入選するまで,様々な職に従事したようだ.清張はその後,1952年に「或る『小倉日記』伝」を三田文学に発表する.この作品は翌年芥川賞を受賞し,これにより松本清張は作家としての地歩を固めた.この年清張は44歳であるから,作家としては遅咲きということになるのかもしれない.いずれにせよ,この作品に,後の清張作品に繰り返されるテーマの多くを見出すことができる.

「或る『小倉日記』伝」は,主人公田上耕作とその母ふじの物語である.耕作は,生まれながらにして障害を持っていた.いわゆる小児麻痺(脳性麻痺)らしい.この症状は,耕作の生涯を通じ,一向に改善することはなかった.

耕作が6歳になったころ,「伝便」屋の老夫婦一家の思い出があった.伝便は小倉独自の風俗で,すぐに手紙を届けたい,あるいはちょっとした品物を気軽に送りたいといった,郵便よりも小回りや融通をきかせたい状況で,それらを送り届けてくれる商売である.耕作は,伝便の爺さんの鈴の音を聞くのが好きだった.

じいさんは朝早く家を出ていって,耕作がまだ床の中にいるころ表を通った.ちりんちりんという手の鈴の音はしだいしだいに町を遠ざかり,いつまでも幽かな余韻を耳に残して消えた.耕作は枕にじっと顔をうずめて,耳をすませて,この鈴の音が,かぼそく消えるまでを聞くのが好きだった.


伝便屋のこの哀しい鈴の音が,物語を貫く一つの糸となる.

中学に進学しても耕作の身体の不自由は相変わらずであったが,その頭脳はずば抜けて優秀であった.この,重い障害と明晰な頭脳,それこそが耕作の悲劇的な生涯の根源だったのである.

そのころ(昭和13年頃),鴎外全集が出版された.しかし,鴎外の「小倉日記」は散逸していた.それを知った耕作は,小倉時代の鴎外を知る関係者を探して回り,その空白を埋めようと思いたつ.これは,頭脳明晰でありながら,重い障害を持った耕作の,唯一の自己実現と思えたことであろう.耕作とふじは,それにすがるようにして生きていく.だが,物語は残酷な結末を迎えるのであった.

「或る『小倉日記』伝」では,執拗なまでに耕作とふじの不幸な状況が描かれる.作者はまるで,ある暗い情念の焔に突き動かされているかのようである.才能がありながら不遇であった,清張の前半生が耕作に投影されているのかもしれない.最初にこの作品を読んだとき(大学生くらいのときであろうか),作者の投げかける重苦しいものに,胸をふさがれるような思いがした.

しかし,このエントリを書くために再読したとき,印象は異なっていた.耕作は,身体に重い障害があるにせよ,優れた頭脳と強靭な精神力を持っている.また,耕作の能力を認める知人がおり,献身的に支えてくれる美しい母ふじがいる.だが,現実にはそうした状況は稀であろう.耕作ほどの能力や意志力すら持っていないことが一般的で,現実はより救いがないといえるのかもしれない.そういう意味で,この作品に描かれる悲劇はどこまでも文学的である.こう感じるのは,この作品の完成度が高い故もあろう.

ただ,この作品をいつ読んでも変わらない思いというのもある.それは,小倉という町に対する郷愁のようなものである.この作品に流れる伝便屋の哀しい鈴の音とあいまって,それは物悲しい色を帯びてしまう.しかし,この作品に対する私のこのような思いは,誰とも共有されることはないかもしれない.



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大いなる助走 (筒井康隆)
以前,松本清張の「或る『小倉日記』伝」について書いた (http://dayinthelife.at.webry.info/200510/article_3.html).今回,松本清張のつながり(知る人ぞ知る)で,筒井康隆の「大いなる助走」について書いてみたい.私は,筒井康隆の愛読者である.旅行などの際に読みたくなれば,たとえ持っている本でも買ってしまうので,同じ本を何度も買うことも少なくない.私の友人にも筒井康隆の愛読者は多いようだ. ...続きを見る
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2007/08/23 20:21

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。伝便を検索し此方へ参りました。私は小倉には行ったこともありませんが、この鈴の音は深く耳の奥に留まり、数ある清張作品の中で本作が一番好きです。確かに残酷な結末ですが、彼は生き甲斐のある人生を短くも送ったと読後も今も思っています。
昔の愛犬のお話も私の昔の愛犬と何処か似ています。
楽しみなブログができました。ありがとうございます。

三浦マリーナ
2011/10/20 18:54
コメントありがとうございます.私も,松本清張の作品だと,推理小説以外のこうした作品が好きですね.この小説でも,著者は自らの人生と主人公の人生とを重ね合わせていたことでしょう.また,本ブログについては,まったく更新ができてないものですから,大変恐縮です.長い目で見ていただければ幸いです.よろしくお願いいたします.

2011/10/22 20:52
おはようございます。この小説を休暇中に読み返したく、部屋中をひっくり返しましたが、いまだ発見できずにいます。この主人公と私は、どこか重複する部分があり特別の思い入れを持っています。コメントは、あえてしません。もう一度、この小説を熟読できたとき、感想がわいてくればコメントさせていただきます。ブログを楽しみにしています。

2011/11/02 10:08
コメントありがとうございます.私もこの主人公に共感するところがあるのです.このように多くの人に共感されるような人物造形をなしとげたところに,この小説が広く読まれる所以があるのではないかと思います.折に触れて読み返したくなりますね.ブログは頻繁に更新できず申し訳ないのですが,年内にできれば2回は更新したいと思います.よろしくお願いします.

2011/11/02 23:00

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